手塚 治虫

ヒトラーが実はユダヤ人だった…と言う説は実はかなり昔から存在しています。
その真偽のほどに関しては、ナチス党の法律局長ハンス・フランクの著作以外にこれと言う論拠があるわけではなく、いわゆる俗説の類とする見方が主流です。
しかしその一方で、ナチス党とシオニストとの関係や、ユダヤ系と言われるハイドリヒやローゼンベルクの存在も踏まえて考えるならば、
ユダヤ人説も全くのデマ、ただの笑い話…とも一概には言い切れないのではないでしょうか。
もっとも、これは僕個人がナチ公と言うか、クラウツにはこれっぽっちのシンパシーも感じていないウンターメンシェであり、ナチ党の掲げる優良アーリア人種云々なプロパガンダは悪趣味なギャグだとしか認識していない事に起因する考えであり、グロース・ドイッ厨ラントな人から見たら噴飯ものの見解なのは承知しております。
本作品はそうしたヒトラーユダヤ人説を中心に据えて、第二次世界大戦の足音迫る1930年代のドイツと日本の両国を舞台に繰り広げられるポリティカル・サスペンス。
たった一人の秘密を守るために屍の山が築かれていく展開は、実のところ結構胸糞が悪い。
特に前半部のドイツで繰り広げられる峠草平の物語は、誰が嘘を吐いて誰が真実を語っているのかが全く見えず、ただ背後にある巨大な権力の影が蠢いているのだけがヒシヒシと伝わって来て、実に不気味です。
異郷の地で一人弟の死の謎を追う日本人と言う孤独感と閉塞感、そして焦燥感が嫌が応にも伝わって来てしまい、そのせいなのか峠が弟を密告した女性に乱暴を働くシーンすらも理解の感情でもって許容できてしまう。
後半は日本の神戸を舞台にして、同じアドルフの名をもつドイツ人少年とユダヤ人少年を通して、彼らを取り巻く大人たちの思惑が描かれます。
日本と言う人種には比較的寛容な国を舞台にしているだけに、子供たちは政治的なしがらみを抜きにして友情を育みますが、周囲の大人達は…という展開。
峠編にしてもアドルフ編にしても、政治と感情の相克を描いている様に思えます。人間は感情の生き物である以上、感情が政治や権力によって押しこめられてしまえばそれはもう人間ではない――と言う某リべリオン風味。
と同時に、感情が対立や権力の暴走を育む揺籃にもなる厄さ。
人間とは不可解にして厄介な生き物です。
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